BNR32進化論 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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■ 年表 |
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■ 各モデルの紹介 |
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初期型 1989年8月、日産は8代目であるR32型スカイラインにより、ケンメリ以来途絶えていた『GT-R』の称号をまとうフラッグシップを復活させた。グループA参戦を目的に開発された6気筒DOHC2568ccのエンジンにレスポンスを重視した2機のセラミックブレードタービン、アルミの大型インタークーラー、大容量の5速ミッション、強大なパワーを確実に路面に伝える為に採用された電子制御トルクスプリット4WDアテーサE-TSシステム。ワイドタイヤを履けるように考えられたブリスターフェンダー、フロントヘビーを解消する為にアルミのフェンダーとボンネットを採用。それまでの市販車の概念を根底から覆す存在として世に送り出されたのである。 中期型 1991年8月に初めてのマイナーチェンジを受ける。まず、プロジェクターランプをH3CからH1へ光度アップしリフレクター形状も変更。タイヤハウス後側のチッピングプロテクターを形状変更(大型可)。ボディカラーに2色追加で7色へ。ドア内にサイドインパクトビームを追加し側面衝突性能を向上させたが、車輌重量として約50kg増(1430kg→1480kg)。パワートレインに関しては、シリンダーブロックの補強、クランクシャフトの形状変更、クラッチ及びクラッチカバーの形状の変更、また、オルタネータの耐震性向上(91年1月以降)、リアブレーキキャリパのシール材の変更等の他、内装に一部変更が加えられている。 後期型 1993年2月、2度目のマイナーチェンジを受ける。クラッチをプッシュ式からプル式に変更し、カバー圧着力を高めている。また4番センターメインベアリング(スラストメタル)の面取り位置の変更、5速ミッションのシンクロメッシュ機構の改良などが行われた。 NISMO 1990年3月、グループAレースの為のホロモゲーションモデルとして発売される。生産されたのは車体番号BNR32-100001〜100560の560台だが、うち60台は実験やレースに使われ、市販されたのは500台である。車体番号の頭に1が付くのが特徴。特徴として冷却効率を高める為にFバンパーにはエアダクト、導風性能の向上を図る為にボンネットにはフードトップモールが追加される。またリアタイヤ前の大型センターマッドガード、リアスポイラー下に小型スポイラーも追加されている。パワートレインとしてはタービンを耐久性の高いメタルブレードタービンに変更、ABS・エアコンの廃止、リアワイパーの廃止などにより軽量化も図られている N1ベース車輌 1991年7月、N1耐久レース参戦へのベースモデルとして発売される。こちらはNISMO仕様と違い限定発売ではなくて受注生産であった。NISMO仕様以上に徹底した軽量化が図られ、ABS・エアコンの他、大型サイドシル・小型リアスポイラーの不採用、ヘッドランプもプロジェクターではない軽量タイプが採用された。タービンは標準車と同じセラミックタイプを当初採用したが、93年2月以降はメタルに変更されている。ブレーキ関係としてはブレーキ冷却用の導風板の採用、またローターはクラックが入りにくいピンホールレスである。N1ベース車輌はVスペック、VスペックUの仕様に準じていくので、後にそれらの仕様に準じたパッケージングとなる。生産台数は228台と言われる。 Vスペック 2度目のマイナーチェンジの際、グループAレース3連覇を記念したパッケージングとして登場。タイヤ・ホイールを17インチに変更し、ブレーキもブレンボ製のものに変更。それに伴いスペアタイヤも17インチのものに。タイヤ径の変更によりアテーサET-Sのチューニングも行われた。タイヤの外径が変更になった為、全高は15ミリ高くなり、最低地上高も+140ミリとなる。 VスペックU 1994年2月、グループAレース4連覇記念である最後のバージョンとして投入された。後期型Vスペックからの変更点としてはタイヤサイズのみである。トランクリッド右に「VspecU」というエンブレムが貼られた。 |
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